柳澤壽男
柳澤 壽男(やなぎさわ ひさお、1916年2月24日 - 1999年6月16日)は、日本の映画監督である。
やなぎさわ ひさお 柳澤 壽男 | |
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生年月日 | 1916年2月24日 |
没年月日 | 1999年6月16日(83歳没) |
出生地 | 日本 群馬県佐波郡玉村町 |
職業 | 映画監督 |
ジャンル | 映画 |
経歴
編集松竹下加茂撮影所にて、大曽根辰夫や犬塚稔の助監督を務めた[1]。亀井文夫監督の『小林一茶』を見て、ドキュメンタリー映画への道を志すことになり、1942年に松竹を退社した[1]。1943年から1950年までのあいだ、日本映画社にて、『富士山頂観測所』などの作品を手がけた[1]。1953年に岩波映画製作所と契約し、『新風土記 北陸』や『室町美術』などの文化映画を手がけた[1]。1960年代半ばに岩波との契約を解消したのち、自主製作のドキュメンタリー映画に転身し、『夜明け前の子供たち』や『風とゆききし』などを手がけた[1]。
1999年6月16日、83歳にて死去[2]。
フィルモグラフィー
編集長編映画
編集- 夜明け前の子供たち(1968年)
- ぼくのなかの夜と朝(1971年)
- 甘えることは許されない(1975年)
- そっちゃないこっちゃ コミュニティ・ケアーへの道(1982年)
- 風とゆききし(1989年)
短編映画
編集- 東京裁判 第三集 真珠湾奇襲(1946年)
- 炭坑(1947年)
- 富士山頂観測所(1948年)
- 若い村(1948年)
- 海に生きる 遠洋底曳漁船の記録(1949年)
- 飛騨のかな山(1949年)
- 私たちの新聞(1950年)
- キャメラ探訪 都会の裏側(1950年)
- わがふるさとの町(1952年)
- 産業と電力(1953年)
- 新風土記 北陸(1953年)
- 室町美術(1954年)
- ビール誕生(1954年)
- 野を越え山を越え(1955年)
- 東海の民芸を訪ねて 第一部(1958年)
- どこかで春が(1958年)
- おばあさん学級(1959年)
- 漁網(1959年)
- 神戸っ子(1960年)
- 小さな町の小さな物語(1960年)
- ぷらすちっく(1961年)
- ロダン(1962年)
- 東レパイレン(1963年)
- 車大工(1976年)
- 古典雅楽器 雲の上の音がたちのぼる(1977年)
脚注
編集関連文献
編集- 岡田秀則・浦辻宏昌 編『そっちやない、こっちや 映画監督・柳澤壽男の世界』新宿書房、2018年。ISBN 978-4-88008-473-2。
外部リンク
編集- 柳澤壽男 - allcinema
- 柳沢寿男 - KINENOTE
- 柳沢寿男 - 日本映画データベース
- Hisao Yanagisawa - IMDb