柳沢 鉱一(やなぎさわ こういち、1891年 - 1971年7月4日)は、日本の銀行家。横浜興信銀行頭取(第四代)、日本銀行国庫局長。
1909年早稲田実業学校卒[1]。卒業後は日本銀行に入り、人事部長、国庫局長を務める。1944年に横浜興信銀行(現在の横浜銀行)に転じ、1949年まで同行頭取を務めた[2]。1971年死去。