柳沢 鉱一(やなぎさわ こういち、1891年2月2日[1] - 1971年7月4日)は、日本の銀行家。横浜興信銀行頭取(第四代)、日本銀行国庫局長。
東京府出身[1]。1909年早稲田実業学校卒[2]。卒業後は日本銀行に入り、人事部長、国庫局長を務める。1944年に横浜興信銀行(現在の横浜銀行)に転じ、1949年まで同行頭取を務めた[3]。1950年神奈川県信用保証協会会長。その他、神奈川県観光社長、日米富士自転車専務、横浜銀行協会会長、横浜商工会議所副会頭を歴任[1][4]。1971年死去。