柳本啓成
柳本 啓成(やなぎもと ひろしげ、1972年10月15日 - )は、大阪府出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションは(DF)。現在は株式会社DF3代表取締役。YANAGI FIELD代表。YF NARA TESORO(ジュニアチーム)GM。元妻は女優・タレントの岡元あつこ。血液型B型[1]。
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名前 | ||||||
愛称 | ヤナギ | |||||
カタカナ | ヤナギモト ヒロシゲ | |||||
ラテン文字 | YANAGIMOTO Hiroshige | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1972年10月15日(52歳) | |||||
出身地 | 大阪府東大阪市 | |||||
身長 | 175cm | |||||
体重 | 66kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1988-1990 | 奈良育英高校 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1991-1998 | マツダ/サンフレッチェ広島 | 174 | (4) | |||
1999-2002 | ガンバ大阪 | 73 | (0) | |||
2003-2006 | セレッソ大阪 | 73 | (0) | |||
通算 | 320 | (4) | ||||
代表歴2 | ||||||
1995-1997 | 日本 | 30 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2006年12月31日現在。 2. 1997年3月27日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
来歴
編集大阪府東大阪市に生まれ、小学2年生のときに奈良県に転居[2]。1991年に奈良育英高校からマツダSCに入団。同期は森山佳郎、森秀昭、笛真人、路木健、松山大輔、小倉一浩。トップチームであるマツダSCでの出場機会はなかった。
サンフレッチェ広島設立とともにプロ契約[3]。創設期の広島では若手選手No.1の人気を博し、全国的にアイドル的な存在だった。Jリーグ開幕時から右サイドバックのレギュラーであったが、8月に顎を骨折し戦線離脱。細身の武田修宏に弾き飛ばされた悔しさから、筋トレを真剣に取り組み強靭な体を造り上げた。1994年、センターバックに怪我人が相次いだため、センターバックにコンバートされると佐藤康之と抜群のコンビでサントリーシリーズ制覇に貢献。1995年以降は、チームの混迷や本人が嫌がったリベロでの起用のため、公然とチーム批判や監督批判を繰り広げた。
日本代表では加茂周監督時代に右サイドバックとして活躍。一時期はレギュラーに定着したが、その後怪我に泣かされ以降代表に縁がなくなった。
1999年、ガンバ大阪へ移籍。右ウイングバック、右サイドバックとしてプレー[4]。
2003年、セレッソ大阪へ移籍。3バックのストッパーやリベロの位置でプレーした[5]。
2005年7月、広島県出身のレポーター高尾晶子の紹介で知り合った女優・タレント岡元あつこと、8年間の友人関係を経て結婚。
2008年4月、株式会社DF3を設立し、地元奈良県でフットサル施設「YANAGI FIELD」を開業[2]。また、ジュニアチームYF NARA TESOROをGMとして率いる。
2019年11月、奈良市芝辻町に移転。公式戦も行われるフルコート1面フットサルコート1面を有する。
所属クラブ
編集個人成績
編集国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | JSL杯/ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1991 | マツダSC東洋 | 中国 | - | ||||||||
1992 | 広島 | - | J | - | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
1993 | 19 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 21 | 0 | |||
1994 | 40 | 4 | 1 | 0 | 3 | 0 | 44 | 4 | |||
1995 | 50 | 0 | - | 5 | 0 | 55 | 0 | ||||
1996 | 29 | 0 | 14 | 0 | 5 | 1 | 48 | 1 | |||
1997 | 3 | 13 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 13 | 0 | ||
1998 | 23 | 0 | 4 | 0 | 2 | 0 | 29 | 0 | |||
1999 | G大阪 | 33 | J1 | 20 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 24 | 0 |
2000 | 14 | 0 | 2 | 0 | 4 | 0 | 20 | 0 | |||
2001 | 28 | 0 | 4 | 0 | 2 | 0 | 34 | 0 | |||
2002 | 11 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 16 | 0 | |||
2003 | C大阪 | 17 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | 22 | 0 | ||
2004 | 3 | 13 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 15 | 0 | ||
2005 | 28 | 0 | 7 | 0 | 4 | 0 | 39 | 0 | |||
2006 | 15 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 20 | 0 | |||
通算 | 日本 | J1 | 320 | 4 | 48 | 0 | 32 | 1 | 400 | 5 | |
日本 | 中国 | - | |||||||||
総通算 | 320 | 4 | 48 | 0 | 32 | 1 | 400 | 5 |
- Jリーグ初出場 - 1993年5月16日 サントリーシリーズ 第1節 対ジェフユナイテッド市原戦(広島スタジアム)
- Jリーグ初得点 - 1994年4月23日 サントリーシリーズ 第11節 対ジュビロ磐田戦(広島ビッグアーチ)
その他の公式戦
- 1994年
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
代表歴
編集試合数
編集- 国際Aマッチ 30試合 0得点(1995年 - 1997年)
日本代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
1995 | 12 | 0 |
1996 | 13 | 0 |
1997 | 5 | 0 |
通算 | 30 | 0 |
出場
編集No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦相手 | 結果 | 監督 | 大会 |
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1. | 1995年01月08日 | リヤド | アルゼンチン | ●1-5 | 加茂周 | インターコンチネンタル選手権 | |
2. | 1995年02月15日 | シドニー | オーストラリア | ●1-2 | 国際親善試合 | ||
3. | 1995年02月21日 | 香港 | 韓国 | △1-1 | ダイナスティカップ | ||
4. | 1995年02月23日 | 香港 | 中華人民共和国 | ○2-1 | ダイナスティカップ | ||
5. | 1995年02月26日 | 香港 | 韓国 | △2-2(PK5-3) | ダイナスティカップ | ||
6. | 1995年05月21日 | 広島県 | 広島広域公園陸上競技場 | スコットランド | △0-0 | キリンカップ | |
7. | 1995年06月03日 | ロンドン | イングランド | ●1-2 | アンブロカップ | ||
8. | 1995年06月10日 | ノッティンガム | スウェーデン | △2-2 | アンブロカップ | ||
9. | 1995年08月06日 | 京都府 | 京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場 | コスタリカ | ○3-0 | 国際親善試合 | |
10. | 1995年08月09日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ブラジル | ●1-5 | サン・スパークカップ | |
11. | 1995年10月24日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | サウジアラビア | ○2-1 | デサント・アディダスマッチ | |
12. | 1995年10月28日 | 愛媛県 | 愛媛県総合運動公園陸上競技場 | サウジアラビア | ○2-1 | デサント・アディダスマッチ | |
13. | 1996年02月10日 | ウォロンゴン | オーストラリア | ○4-1 | 国際親善試合 | ||
14. | 1996年02月14日 | メルボルン | オーストラリア | ●0-3 | 国際親善試合 | ||
15. | 1996年02月19日 | 香港 | ポーランド | ○5-0 | カールスバーグカップ | ||
16. | 1996年02月22日 | 香港 | スウェーデン | △1-1(PK4-5) | カールスバーグカップ | ||
17. | 1996年05月26日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ユーゴスラビア | ○1-0 | キリンカップ | |
18. | 1996年05月29日 | 福岡県 | 東平尾公園博多の森球技場 | メキシコ | ○3-2 | キリンカップ | |
19. | 1996年08月25日 | 大阪府 | 長居陸上競技場 | ウルグアイ | ○5-3 | 国際親善試合 | |
20. | 1996年09月11日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ウズベキスタン | ○1-0 | JFA75周年記念試合 | |
21. | 1996年10月13日 | 愛知県 | 神戸総合運動公園ユニバー記念競技場 | チュニジア | ○1-0 | プーマカップ | |
22. | 1996年12月06日 | アル・アイン | シリア | ○2-1 | アジアカップ | ||
23. | 1996年12月09日 | アル・アイン | ウズベキスタン | ○4-0 | アジアカップ | ||
24. | 1996年12月12日 | アル・アイン | 中華人民共和国 | ○1-0 | アジアカップ | ||
25. | 1996年12月15日 | アル・アイン | クウェート | ●0-2 | アジアカップ | ||
26. | 1997年02月13日 | バンコク | スウェーデン | ●0-1 | キングスカップ | ||
27. | 1997年03月15日 | バンコク | タイ | ●1-3 | 国際親善試合 | ||
28. | 1997年03月23日 | マスカット | オマーン | ○1-0 | ワールドカップ予選 | ||
29. | 1997年03月25日 | マスカット | マカオ | ○10-0 | ワールドカップ予選 | ||
30. | 1997年03月27日 | マスカット | ネパール | ○6-0 | ワールドカップ予選 |
出典
編集- ^ 2020年田島彩香と再婚。2022年5月には第一子となる來良が誕生。現在は奈良市在住プロフィール Jリーグ選手名鑑
- ^ a b “【あの人NOW!】元サッカー日本代表・柳本啓成さん 将来、代表選手を輩出したい”. ZAKZAK (産業経済新聞社). (2010年5月18日) 2017年2月19日閲覧。
- ^ “Jリーグキャリアサポートセンター:OBレポート:柳本啓成”. Jリーグ (2008年). 2013年4月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年2月19日閲覧。
- ^ 『週刊サッカーマガジン 別冊 春季号「まるごとJリーグ完全版〜栄光の記憶15年〜」』 ベースボール・マガジン社、51頁。
- ^ 『週刊サッカーマガジン 別冊 春季号「まるごとJリーグ完全版〜栄光の記憶15年〜」』 ベースボール・マガジン社、70頁。
関連項目
編集- サッカー日本代表出場選手
- サンフレッチェ広島F.Cの選手一覧
- ガンバ大阪の選手一覧
- セレッソ大阪の選手一覧
- MIRACLE DIVING JUDY AND MARYの3枚目のアルバム。7曲目「ステレオ全開」に「オフサイド~」の掛け声で参加
外部リンク
編集- 柳本啓成 - National-Football-Teams.com
- 柳本啓成 - FootballDatabase.eu
- 柳本啓成 - WorldFootball.net
- 柳本啓成 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 柳本啓成 - FIFA主催大会成績
- 柳本啓成 - J.League Data Siteによる選手データ
- YANAGI FIELDヤナギフィールド