柳原 資定(やなぎわら すけさだ、明応4年11月6日(1495年11月22日) - 天正6年3月30日(1578年5月6日)[1])は、室町時代の公卿。柳原量光(かずみつ、1448年 - 1510年)の二男。
天文8年(1539年)、権大納言に昇ったがやがて辞し、その後は連年、賀茂伝奏・神宮伝奏(賀茂神社あるいは伊勢神宮からの願い出を伝達奏聞する役)などの役に携わり、弘治2年(1556年)には従一位に叙せられた(62歳)。
天正6年(1578年)5月3日、出家し、その3日後、84歳で没した。