柘植光彦
日本の文芸評論家 (1938-2011)
来歴
編集東京府出身。東京大学仏文科在学中の1960年、小説『大きな赤い太陽』を『文學界』に発表。1961年第16次『新思潮』創刊。1964年第17次『新思潮』創刊(第17次『新思潮』同人郷正文小説集『愛の家族』(審美社刊)の<あとがき>に「郷正文作品の現代的意味 ― 解説に代えて」を書く)。
東京大学大学院人文科学研究科国語国文学専攻修士課程修了。専修大学助教授、1981年教授、2009年定年退職、名誉教授。
大学院博士課程在学中に東大闘争に遭遇し、ノンセクトの思想に共鳴した。以後、学問論や研究者論を展開するとともに、現代日本文学研究者として活動。主な研究対象は、埴谷雄高、安部公房、福永武彦、三島由紀夫、島尾敏雄、吉行淳之介、井上光晴、三枝和子、大江健三郎、筒井康隆、井上ひさし、村上春樹、よしもとばなな、小川洋子など多数。「四畳半襖の下張」模索舎裁判では特別弁護人として活動した。
1995年に正式発足した現代文学会の世話人を、栗坪良樹、川村湊とともに務める。
2011年11月15日、冠状動脈硬化症のため東京都新宿区の自宅で死去。73歳没[1]。
著書
編集- 私は美しい - “私”をめぐる七つの小説(太陽社、1977年)
- 大きな赤い太陽(深夜叢書社、1977年)
- 現代文学試論(至文堂、1978年)
- 村上春樹の秘密(アスキー新書、2010年)
編著書
編集解説
編集脚注
編集- ^ 柘植光彦氏死去(作家、専修大名誉教授) 時事通信 2011年11月17日閲覧
参考
編集- 文藝年鑑2007