柏崎古墳群
概要
編集東松山台地の突出部上に築造されている。現在確認されている古墳は、帆立貝形古墳1(おくま山古墳)、前方後方墳1(柏崎天神山古墳)、方墳1(柏崎8号墳)、円墳15である。1910年(明治43年)小原地区から、開墾中に珠文鏡1、硬玉製勾玉1、瑪瑙製勾玉1、碧玉製管玉2、ガラス製小玉6が発見されている。また、1928年(昭和3年)に名所地区で埴輪片が発見されている。これらの遺物は東京国立博物館に収蔵されている。
古墳
編集- おくま山古墳(柏崎1号墳)
- 柏崎2号墳
- 柏崎4号墳
- 柏崎5号墳
- 直径30メートル。横穴式石室から金環10、管玉1、臼玉3、ガラス製小玉10、大刀4、刀子4、鉄鏃15出土。
- 柏崎6号墳
- 横穴式石室から金環2、管玉1、刀子4、大刀残欠、鐔2、刀装具1、鉄鏃40出土。
- 柏崎8号墳
- 一辺約20メートル、高さ2.8メートル。
- 柏崎天神山古墳(柏崎10号墳)
- 権現塚古墳(柏崎12号墳)
- 直径38メートル、高さ5.4メートル。水鳥形埴輪が出土。
柏崎古墳群の変遷は、まず柏崎天神山古墳が5世紀後半に築造され、つづいて権現塚古墳、6世紀前半におくま山古墳、6世紀後半から円墳群が築造され、最後に7世紀中頃に柏崎2号・8号墳が築造されて終焉を迎えると考えられる。
脚注
編集参考文献
編集- 塩野, 博『埼玉の古墳 比企・秩父』さきたま出版会、2004年9月。ISBN 9784878913822。 NCID BA68966639。