枝川部屋(えだがわへや)は、かつて存在した相撲部屋。
初代枝川藤兵衛の時代に大関鷹ノ海灘右エ門、関脇波戸ヶ崎岸右エ門、幕内八十嶋嘉六(後追手風部屋へ移籍)が育っている。その後、2代から6代も部屋経営を行っているが関取はでていない。6代藤ヶ嶽彦藏、7代十文字多吉の時代には後に関取となる綾瀬川三左エ門(雷部屋)近江冨士初太郎(出羽ノ海部屋)が在籍していたが、大成する前に師匠が死去している。
昭和14年(1939年)1月場所を最後に現役を引退し、9代目を襲名した二所ノ関部屋の元幕内海光山大五郎は、同年5月に独立して部屋を興したが関取は出ず昭和22年(1947年)6月限りで部屋を閉じた。
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