林敏夫
林 敏夫(はやし としお、1915年5月14日 - 1945年8月13日)は、日本の俳優、歌舞伎役者である[1][2][3][4][5][6][7]。本名同じ[1][2]。第二次世界大戦で戦死した[1][2]。
はやし としお 林 敏夫 | |
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映画デビュー作『初陣』(1933年)チラシ。 | |
本名 | 同 |
生年月日 | 1915年5月14日 |
没年月日 | 1945年8月13日(30歳没) |
出生地 | 日本 大阪府大阪市南区玉屋町(現在の同府同市中央区東心斎橋付近) |
死没地 | ソビエト連邦 北満州(現在のロシア・沿海地方あたり) |
職業 | 俳優 |
ジャンル | 歌舞伎、劇映画(時代劇、剣戟映画、サイレント映画・トーキー) |
活動期間 | 1921年 - 1944年 |
配偶者 | 北見礼子 |
著名な家族 |
林与一 (長男) 初代中村鴈治郎 (祖父) 二代目林又一郎 (父) 二代目中村鴈治郎 (叔父) 四代目坂田藤十郎 (従弟) 中村玉緒 (従妹) 中村芳子 (叔母) |
主な作品 | |
『初陣』 『夜襲本能寺』 |
人物・来歴
編集1915年(大正4年)5月14日、大阪府大阪市南区玉屋町(現在の同府同市中央区東心斎橋付近)に生まれる[1][2]。祖父が初代中村鴈治郎、父が二代目林又一郎、叔父が二代目中村鴈治郎という歌舞伎一家に生まれた[1][2]。
1921年(大正10年)、数え年7歳にして大阪・中座で初舞台を踏む[1][2]。作品は『菅原伝授手習鑑』四段目『寺小屋』、菅丞相の子「菅秀才」役であった[1][2]。以来、鴈治郎一座で歌舞伎役者として活動する[1]。役者としての活動の傍ら、旧制・浪速中学校(現在の浪速高等学校)に進学、同校を卒業したのち、満18歳を迎える1933年(昭和8年)、京都の松竹下加茂撮影所に入社する[1][2]。同年11月1日に公開された冬島泰三監督のサウンド版『初陣』で映画界にデビューした[1][2][3]。同作は、白虎隊を主題にし、「新スター林敏夫」をプロモーションする意図のあった作品で、同社は林長二郎(のちの長谷川一夫)、坂東好太郎、高田浩吉といったスターをそろえて、敏夫の「初陣」を飾った[1]。翌1934年(昭和9年)3月8日に公開された同監督の『夜襲本能寺』に、林長二郎演じる明智光秀に助演して、森蘭丸を演じた[1][2][3]。
1937年(昭和12年)10月1日に公開された秋山耕作監督の『蒙古襲来 敵国降伏』を最後に映画界を去り、舞台に復帰した[1][2][3]。満26歳になる1941年(昭和16年)、同年に松竹下加茂撮影所を退社した、同い年の女優の北見礼子(1915年 - 2007年)と結婚、1942年(昭和17年)2月14日には、長男の与一が誕生した[1][2][8][9]。
1944年(昭和19年)、召集を受けて出征、1945年(昭和20年)8月13日、北満州(現在のロシア・沿海地方あたり)で戦死した[1][2]。満30歳没。戦死の2日後に第二次世界大戦は終結し、妻の北見礼子は戦後、映画界に復帰、長男の与一は1957年(昭和32年)に初舞台を踏んだ[8][9]。
フィルモグラフィ
編集特筆以外すべてクレジットは「出演」である[3][4]。公開日の右側には役名[3][4]、および東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)、マツダ映画社所蔵等の上映用プリントの現存状況についても記す[5][10]。同センター等に所蔵されていないものは、とくに1940年代以前の作品についてはほぼ現存しないフィルムである。
松竹下加茂撮影所
編集特筆以外すべて製作は「松竹下加茂撮影所」、配給は「松竹キネマ」、特筆以外はトーキーである[3][4]。
- 『初陣』 : 監督冬島泰三、サウンド版、1933年11月1日公開 - 主演[1]
- 『夜襲本能寺』 : 監督冬島泰三、サウンド版、1934年3月8日公開 - 森蘭丸[1]
- 『明暦名剣士』 : 監督井上金太郎、サイレント映画、1934年4月15日公開
- 『槍さび恋慕』 : 監督二川文太郎、サイレント映画、1934年6月14日公開
- 『林蔵出世旅』 : 監督二川文太郎、サイレント映画、1934年9月6日公開
- 『侠客曾我』 : 監督井上金太郎、1934年12月31日公開 - 旭屋丸三(初のトーキー出演)
- 『浪人旅殺生菩薩』 : 監督近藤勝彦、サウンド版、1935年5月2日公開
- 『かごや判官』 : 監督冬島泰三、製作松竹京都撮影所、配給松竹キネマ、1935年7月14日公開 - 彦兵衛伜 彦三郎、63分尺で現存(NFC所蔵[5])
- 『お嬢お吉』 : 監督高島達之助・溝口健二、製作第一映画、配給松竹キネマ、1935年8月29日公開 - 半次郎(特別出演)、64分尺で現存(NFC所蔵[5])
- 『殿さまやくざ』(『殿様やくざ』[6]) : 監督古野英治、解説版、1936年8月21日公開
- 『二代目弥次喜多』 : 監督大曾根辰夫、1937年1月21日公開
- 『元禄快挙余譚 土屋主税 落花の巻』(『玩辞楼十二曲の内 元禄快擧余譚 土屋主税 落花篇』) : 監督犬塚稔、1937年7月14日公開 - 大石主税、52分尺で現存(NFC所蔵[5])
- 『元禄快挙余譚 土屋主税 雪解篇』(『玩辞楼十二曲の内 元禄快擧余譚 土屋主税 雪解篇』) : 監督犬塚稔、1937年8月14日公開 - 大石主税、60分尺で現存(NFC所蔵[5])
- 『蒙古襲来 敵国降伏』 : 監督秋山耕作、1937年10月1日公開 - 北條為時
家族
編集脚注
編集- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q キネマ旬報社[1979], p.467.
- ^ a b c d e f g h i j k l m 林敏夫、jlogos.com, エア、2013年1月25日閲覧。
- ^ a b c d e f g 林敏夫、日本映画データベース、2013年1月25日閲覧。
- ^ a b c d 林敏夫、日本映画情報システム、文化庁、2013年1月25日閲覧。
- ^ a b c d e f 林敏夫、東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年1月25日閲覧。
- ^ a b 林敏夫、日本映画製作者連盟、2013年1月25日閲覧。
- ^ 林敏夫、KINENOTE、2013年1月25日閲覧。
- ^ a b デジタル版 日本人名大辞典+Plus『林与一』 - コトバンク、2013年1月25日閲覧。
- ^ a b 本庄[2009], p.161.
- ^ 主な所蔵リスト 劇映画 邦画篇、マツダ映画社、2013年1月25日閲覧。
参考文献
編集- 『日本映画俳優全集・男優編』、キネマ旬報社、1979年10月23日
- 『芸能人物事典 明治大正昭和』、日外アソシエーツ、1998年11月 ISBN 4816915133
- 『幻のB級!大都映画がゆく』、本庄慧一郎、集英社新書、集英社、2009年1月16日 ISBN 4087204782