林俊廷
林 俊廷(りん しゅんてい)は、中華民国の軍人。旧広西派に属す。旧名は阿保。字は莆田。
林俊廷 | |
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プロフィール | |
出生: | 1876年(清光緒2年) |
死去: |
1933年 中華民国広西省寧明県 |
出身地: | 清広東省廉州府防城県 |
職業: | 軍人 |
各種表記 | |
繁体字: | 林俊廷 |
簡体字: | 林俊廷 |
拼音: | Lín Jùntíng |
ラテン字: | Lin Chün-t'ing |
和名表記: | りん しゅんてい |
発音転記: | リン ジュンティン |
事跡
編集初めは塩商人であったが、その後緑林の徒となった。1902年(光緒28年)、清朝に帰順して軍人となる。以後、管帯、督帯、統領と順調に昇進した。
1913年(民国2年)4月、巡防第2軍統領となる。1916年(民国5年)8月、桂林鎮守使に任命された。1917年(民国6年)10月、桂軍第2軍総司令に任命され、1920年(民国9年)、桂平鎮守使となる。
1923年(民国12年)1月、林俊廷は広西自治軍司令を自称し、同年3月、広西省省長代理を兼任した。11月、広東八属軍務督弁に任命された。しかし1924年(民国13年)9月、陳炯明配下の鄧本殷に敗れ、貴県(現在の広西チワン族自治区貴港市)に撤退する。
1925年(民国14年)1月、林俊廷は雲南省の唐継尭に与し、建国聯軍鄂桂辺防督弁兼広西省長に任命された。しかし同年7月、新広西派(新桂系)の李宗仁に大敗して下野した。
参考文献
編集- 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。
中華民国(北京政府)
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