松田 政近(まつだ まさちか、生年不詳 - 天正10年6月13日1582年7月2日))は、戦国時代武将明智光秀の家臣。通称は太郎左衛門。

 
松田政近
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 天正10年6月13日1582年7月2日
別名 通称:太郎左衛門
主君 明智光秀
氏族 松田氏
五郎
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略歴

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丹波衆の一人。山崎の戦いでは並河易家隊と共に明智軍の山手先鋒隊として先陣。羽柴秀吉軍の左翼(山側)が手薄であると考え、事を機に乗じて、中川清秀高山右近隊を側面から奇襲しようと接近した。しかし、天王山にいた羽柴秀長黒田孝高隊が、中川・高山隊を援護して交戦することとなり、攻防を繰り広げたが、討死した。

子孫

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『福知山市史』によると元和7年(1621年)に亀山藩岡部長盛福知山藩に転封された時に、光秀の家臣松田太郎左衛門の一子・五郎が、これに従って福知山へ越したという記録がある。これによれば五郎は父の討死後は母と並河村に逃避し、亀山で奉公したと云う。

参考文献

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  • 二木謙一『明智軍記』新人物往来社、1995年。ISBN 4404021836 
  • 福知山市史編さん委員会 『福知山市史』