松浦 竹松(まつうら たけまつ、1901年5月31日 - 1975年11月18日)は、日本の経営者兵庫県出身[1]

経歴・人物

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1953年大阪アイス興業取締役、1954年大阪スタジアム取締役を経て、1961年1月には常務に就任[1]日本庭球協会理事、南海ホークス代表、太平洋野球連盟理事なども歴任[2]

1975年11月18日肺炎のために死去[2]。74歳没。

脚注

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  1. ^ a b 人事興信所 1975, ま94頁.
  2. ^ a b 1975年 11月18日 読売新聞 夕刊 p11

参考文献

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  • 人事興信所 編『人事興信録 第28版 下』人事興信所、1975年。