松橋久左衛門
松橋 久左衛門(まつはし きゅうざえもん、1905年(明治38年)1月2日[1] - 1970年(昭和45年)11月30日[1])は、日本の政治家。長野県長野市長。
松橋久左衛門 まつはし きゅうざえもん | |
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生年月日 | 1905年1月2日 |
出生地 | 長野県長野市 |
没年月日 | 1970年11月30日(65歳没) |
出身校 | 東京帝国大学経済学部(現東京大学経済学部)卒業 |
前職 | 長野市連合青年会長 |
第34代長野県議会議長 | |
在任期間 | 1947年5月 - 1949年3月 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1947年4月5日 - 1954年11月19日 |
来歴
編集長野市生まれ。家業は鋼材商「鍋久」で、代々「松橋久左衛門」を襲名する。旧制長野中学(長野県長野高等学校)、旧制松本高等学校文科を経て、1929年東京帝国大学経済学部卒業[2]。家業の鋼材商「鍋久」を承継し、長野市連合青年会長、長野市会議員を経て、昭和14年(1939年)長野県会議員となる[2]。
同21年(1946年)長野市長臨時代理者となり、翌年に施行された初の公選による長野市長選挙で当選。また戦後の特例で長野県議会議員を兼務し、議長[3]として「分県論」を収束させた。同24年(1954年)善光寺御開帳にあわせて平和博覧会を開催させた。昭和の大合併では同29年(1954年)に上水内郡10ヶ村との大合併を実現した。
先代の久左衛門も長野県会議員、長野市会議長を務めたが、警廃事件で県の統合案に賛成したため民衆に襲撃された。
脚注
編集参考文献
編集外部リンク
編集- 歴代長野市長 - 長野市