松本市旧司祭館
松本市旧司祭館(まつもとしきゅうしさいかん)は、長野県松本市に残る明治時代の洋式住宅で、長野県内に現存する最古の西洋館[3]。 松本市立博物館の分館。
松本市旧司祭館 | |
---|---|
北西側外観 | |
情報 | |
旧用途 | 住宅 |
設計者 | クレマン神父[1][2] |
構造形式 | 木造[1] |
延床面積 | 202.64 m² [1] |
階数 | 2階[1] |
竣工 | 1889年(明治22年)[1] |
所在地 | 長野県松本市開智2丁目6-24 |
座標 | 北緯36度14分35.6秒 東経137度58分3.5秒 / 北緯36.243222度 東経137.967639度座標: 北緯36度14分35.6秒 東経137度58分3.5秒 / 北緯36.243222度 東経137.967639度 |
文化財 | 長野県宝(長野県指定有形文化財)[1][2] |
指定・登録等日 | 2005年3月28日[1] |
概要
編集フランス人の神父・クレマンにより1889年(明治22年)にカトリック松本教会の宣教師用住居として、松本城内三の丸三の丸の大名屋敷があった地蔵清水に建設され、テレジア幼稚園の庭にあった[3]。松本城北側の街路拡幅事業にともない、1991年に現在の旧開智学校の隣地にか移築復元される[1][2]。
アーリー・アメリカン様式を備えた下見板張りの西洋館で、各部屋には暖炉があり、1・2階ともにベランダを備えている。1994年3月の松本市重要文化財指定を経て、2005年3月28日には「松本市旧司祭館」として県宝の指定を受けた[1][2]。
ギュスターブ・セスラン(Gustave Cesselin)神父が明治34年から27年の歳月を費やし、日本で初の日仏辞典を編纂した場所でもある[2]。
-
南東側外観
-
1階ベランダ
-
2階ベランダ
-
旧司祭館と旧開智学校
関連項目
編集出典
編集参考文献
編集- 松本市立博物館 (2013年12月20日). “トップページ > 施設案内 > 博物館施設 > 旧司祭館 > 利用案内”. くるくるねっとまつもと. 2015年5月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年6月4日閲覧。
- 新まつもと物語プロジェクト (2006年1月16日). “県宝 松本市旧司祭館”. 新まつもと物語. 2015年3月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年6月4日閲覧。