松平頼幸
江戸時代中期の大名。常陸府中藩第5代藩主
松平 頼幸(まつだいら よりとみ)は、江戸時代中期の大名。常陸国府中藩5代藩主。官位は従四位下・播磨守、侍従。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保4年9月29日(1719年11月10日) |
死没 | 寛保2年6月28日(1742年7月29日) |
改名 | 源吉(幼名)→頼時→頼幸 |
戒名 | 空洞院擔誉仙巖道照 |
墓所 | 茨城県常陸太田市の瑞龍山 |
官位 | 従四位下播磨守、侍従 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川吉宗 |
藩 | 常陸府中藩主 |
氏族 | 石岡松平家 |
父母 | 父:松平頼明、母:留与 |
兄弟 |
頼永、武元、遠山友明、頼幸、 亀井茲胤、織田信右正室、松平信友正室 |
子 |
中村源吉 養子:頼済 |
略歴
編集3代藩主・松平頼明の四男として誕生。母は久野安静の娘留与。幼名は源吉。4代藩主・松平頼永の異母弟。諱は頼時から頼幸に改める。
享保20年(1735年)、異母兄で先代藩主の頼永が嗣子なくして早世したため、その養嗣子として跡を継いだ。元文4年(1739年)、浅野吉長や松平頼貞と共に尾張藩主・徳川宗春に対して廃立を伝える使者を務めた。寛保2年(1742年)6月28日、24歳で死去した。頼幸にも嗣子がなく、養嗣子の頼済(松平頼貞の七男)が跡を継いだ。
年表
編集※日付=旧暦