松平重栄
松平 重栄(まつだいら しげよし)は、豊後杵築藩の第2代藩主。能見松平家8代。
時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
---|---|
生誕 | 正保3年10月13日(1646年11月20日) |
死没 | 享保5年2月18日(1720年3月26日) |
改名 | 直之(初名)→重実→重賢→重栄 |
戒名 | 霊覚院 |
墓所 | 東京都台東区下谷の英信寺 |
官位 | 従五位下、日向守、丹後守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 豊後国杵築藩主 |
氏族 | 能見松平家 |
父母 | 父:松平英親、母:常子(松平康信の娘) |
兄弟 | 重栄、重興 |
妻 |
正室:本多康将の娘、継室:岡秀安の娘 側室:宝地院 |
子 | 重休、娘(新庄直詮正室) |
略伝
編集杵築藩初代藩主・松平英親の長男。元禄5年(1692年)12月4日、父の隠居により跡を継ぐ。奏者番、寺社奉行を務めた。元禄10年(1697年)、近隣の日出藩の百姓が逃散してきたとき、それを保護しながら日出藩と交渉し、無難に解決している。宝永5年(1708年)11月23日、次男の重休に家督を譲って隠居し、享保5年(1720年)2月18日に75歳で死去した。