松平親明
豊後杵築藩主
松平 親明(まつだいら ちかあきら)は、豊後杵築藩の第8代藩主。能見松平家14代。
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 天明5年5月11日(1785年6月17日) |
死没 | 文政8年11月12日(1825年12月21日) |
改名 | 直之助(幼名)→親明 |
戒名 | 剛中院 |
墓所 | 東京都台東区松が谷の海禅寺 |
官位 | 従五位下、備中守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 豊後杵築藩主 |
氏族 | 能見松平家 |
父母 |
父:松平親貞、母:岸本氏 養父:松平親賢 |
兄弟 | 親明、大久保親知、松平信愛正室、土井某室、有馬純長養女 |
妻 | 正室:亀都(戸田忠翰の娘) |
子 | 親良、勝敬(3男)、親淳(4男)、親直(5男) |
略伝
編集第6代藩主・松平親貞の次男。享和元年(1801年)4月13日、松平親賢の養子となる。同年5月15日、将軍徳川家斉に拝謁する。同年12月16日、従五位下備前守に叙任する。後に志摩守に改める。享和2年(1802年)11月20日、養父親賢の死去により、家督を相続する。文政元年(1818年)8月24日、奏者番に就任する。親明自身は能楽に秀でていたと言われているが、藩政においては百姓の逃散や一揆、打ちこわしが相次ぐなど多難を極めた。文政8年(1825年)11月12日、41歳で死去し、跡を長男の親良が継いだ。