松平為政
松平 為政(まつだいら ためまさ)は、江戸時代中期の旗本(寄合)。正朝系大河内松平家2代。石高は3500石。
時代 | 江戸時代中期 |
---|---|
生誕 | 延宝7年10月27日(1679年11月30日) |
死没 | 享保4年9月9日(1719年10月21日) |
改名 | 季政 → 正章 → 季白 → 誠明 → 正幸 → 為政 |
別名 | (通称)主水 → 斎宮 → 帯刀 |
戒名 | 休祥院殿天心運大居士 |
墓所 | 埼玉県新座市野火止の平林寺 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川綱吉 → 家宣 → 家継 → 吉宗 |
氏族 | 大河内松平家 |
父母 |
父:浅野正氏 母:真清院(家女 村田氏) 養父:松平正朝 |
兄弟 | 為政、女(浅野氏備室)、女(松平信応室) |
妻 | 乗願院(松平正信の娘) |
子 |
主水、六之助、正億、勝十郎 さい(秋元貞栄室)、はち、女 |
生涯
編集延宝7年(1679年)10月27日に旗本・浅野正氏の長男として生まれ、天和元年(1681年)12月1日に祖父である松平正朝の養子となる。天和2年(1682年)7月12日に家督を相続する。元禄4年(1691年)6月11日、初めて将軍徳川綱吉に拝謁する。元禄8年8月5日に近習番、11月27日に小姓、12月18日に小普請となる。元禄15年(1702年)3月に小石川門番となるが、翌年11月に類焼したため免じられる。享保4年(1719年)6月25日に小普請組支配となる。同年9月9日に死去。享年41。
参考文献
編集- 『寛政重修諸家譜』巻第二百五十七
- 『幡豆町史 資料編2 近世』