松平忠久 (衆議院議員)
外交官、政治家、実業家。衆議院議員
松平 忠久(まつだいら ただひさ、1904年〈明治37年〉2月11日 - 1991年〈平成3年〉10月27日[1])は、日本の外交官、政治家、実業家。衆議院議員。
松平忠久 まつだいら ただひさ | |
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生年月日 | 1904年2月11日 |
出生地 |
日本 長野県小県郡 (現・長野県上田市) |
没年月日 | 1991年10月27日(87歳没) |
出身校 |
嶺南大学卒業 (現・中山大学) |
前職 | 長野県副知事 |
所属政党 |
(右派社会党→) 日本社会党 |
選挙区 | 旧長野2区 |
当選回数 | 6回 |
在任期間 |
1953年4月19日 - 1966年12月27日 1969年12月27日 - 1972年11月13日 |
経歴
編集長野県小県郡(現・上田市)出身[1]。1925年(大正14年)、東京外国語学校(現・東京外国語大学)中国語科を卒業し、1930年(昭和5年)、広東嶺南大学(現・中山大学)を卒業[1]。さらに、北京大学、ミシガン大学で学んだ[1]。1930年(昭和5年)、外務省に入省し広東書記生に任官[2]。1934年(昭和9年)10月、高等試験外交科試験に合格[2]。以後、上海大使館報道部長、広東領事、南京領事などを歴任[1]。
1951年(昭和26年)、長野県副知事に就任[1][3]。1953年(昭和28年)4月の第26回衆議院議員総選挙で旧長野2区に右派社会党から出馬し当選[4]。その後、第27回から第30回までと第32回総選挙で当選し、衆議院議員を通算6期務めた[3][注釈 1]。この間、衆議院物価問題に関する特別委員長、日本社会党国際団体部長、同中小企業部長、同日中国交回復特別委員長、同中央執行委員、同長野県本部委員長などを歴任[3]。1972年(昭和47年)の第33回総選挙では次点で落選した[7]。
その他、信濃園芸種苗社長、長野県種苗生産販売協同組合理事長、県農業生産改良協会副会長、日中友好協会理事、日中文教協会理事長などを歴任した[1][3]。
脚注
編集注釈
編集出典
編集参考文献
編集- 衆議院・参議院『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。ISBN 9784816918056
- 『現代物故者事典 1991~1993』日外アソシエーツ株式会社、1994年。