松平 康般(まつだいら やすつら)は、江戸時代中期の旗本

 
松平 康般
時代 江戸時代中期
生誕 享保15年(1730年
死没 宝暦6年閏11月10日1756年12月31日
改名 康般→覚雄(法名)
別名 文次郎、金七郎
墓所 天徳寺
幕府 江戸幕府旗本 小普請、西ノ丸書院番士、進物番
主君 徳川吉宗家重
氏族 渡辺氏松井松平家
父母 父:渡辺雅、実母:不詳
養父:松平康平
兄弟 渡辺尹康般、庄三郎、彦坂良真
松平康平の娘
養子:康瑞青木直宥の六男)、松平康瑞室(松平康平の娘)
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経歴

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渡辺雅の次男として生まれ、松平康平の婿養子となる。延享3年(1746年)9月3日、養父・康平の遺跡を継ぎ、小普請となる。寛延元年(1748年)閏10月9日に西ノ丸書院番士、宝暦6年(1756年)10月19日に進物番となるが、同年閏11月10日に27歳で死去した。

系譜

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参考文献

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