松平好房
松平 好房(まつだいら よしふさ)は、江戸時代前期の丹波国福知山藩、のち肥前国島原藩の世嗣。官位は従五位下・大炊頭。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶安2年(1649年) |
死没 | 寛文9年6月23日(1669年7月20日) |
墓所 | 幸田町の本光寺 (愛知県幸田町) |
官位 | 従五位下大炊頭 |
藩 | 丹波福知山藩世嗣→肥前島原藩世嗣 |
氏族 | 深溝松平家 |
父母 | 松平忠房 |
兄弟 | 好房、忠倫 |
妻 | 鍋島直澄娘 |
略歴
編集福知山藩(のち島原藩)主・松平忠房の長男として誕生。正室は鍋島直澄娘。
明暦2年(1656年)徳川家綱に拝謁する。寛文2年(1662年)には叙任するが、家督を継ぐことなく寛文9年(1669年)に21歳で早世した。代わって、弟・忠倫が嫡子となった。
孝子と讃えられている。「小さい時から父母の居る方に、足を伸ばしたことはない。」「よそに行く時も、帰って来た時も、必ず父母の前に出て、その事を告げた。」「父母から頂いた物は大切にして、いつまでも持っていた」「また人が父母の話をすると、いつも正しく居直って聞いた。」などその孝子像が戦前に修身の教科書にも取り上げられた。深溝松平家の菩提寺の本光寺(愛知県額田郡幸田町)には「孝子廟」が、本光寺(長崎県島原市)には徳川家達の揮毫による頌徳碑がある。