松平堅房
日本の江戸時代中期~後期の大名。越後糸魚川藩2代藩主松平直好四男で、糸魚川藩3代藩主(越前松平氏分家5代当主)。従五位下日向守
松平 堅房(まつだいら かたふさ)は、江戸時代中期の大名。越後国糸魚川藩の第3代藩主。官位は従五位下・日向守。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保19年9月26日(1734年10月22日) |
死没 | 安永2年3月2日(1773年3月24日) |
別名 | 賢房(読み同じ)、通称:福次郎 |
戒名 | 本立院 |
官位 | 従五位下、日向守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川吉宗→家重→家治 |
藩 | 越後糸魚川藩主 |
氏族 | 清崎松平家 |
父母 | 父:松平直好、母:石原氏 |
兄弟 | 近栄、直経、堅房、上田安虎室ら |
妻 |
正室:分部光命の娘 側室:星野氏 |
子 | 諏訪頼古、井上直孝、佐久間信崇、直紹、半井成英室、松平近周室、滝川元郷室ら8男9女 |
生涯
編集享保19年(1734年)9月26日、第2代藩主・松平直好の4男として誕生。元文4年(1739年)、父の死去により6歳で家督を継いだ(兄の近栄、直経(なおつね)はいずれも早世していたと思われる)。やがて元服し、糸魚川藩祖(糸魚川松平家初代)の直堅より偏諱を取って堅房と名乗る。
寛延3年(1750年)2月に9代将軍・徳川家重に御目見し、その後は馬場先御門番や日光祭礼奉行、大坂加番、竹橋御門番、田安御門番、一橋御門番などを歴任した。安永2年(1773年)2月16日に死去し、跡を7男・直紹が継いだ。
系譜
編集父母
- 松平直好(父)
- 石原氏 ー 側室(母)
正室
- 章姫 ー 分部光命の長女
側室
- 星野氏
子女
子女は8男9女