松平光年
松平 光年(まつだいら みつつら)は、信濃松本藩の第7代藩主。戸田松平家12代。正親町三条実愛は外孫にあたる。
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 天明元年4月25日(1781年5月18日) |
死没 | 天保8年2月4日(1837年3月10日) |
改名 | 栄松・栄次郎(幼名)→光壮(初名)→光年 |
戒名 | 神龍院大光啓雲 |
墓所 | 長野県松本市県の戸田家廟園 |
官位 | 従四位下、河内守、丹波守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 信濃松本藩主 |
氏族 | 戸田松平家 |
父母 |
父:松平光悌、母:梶原氏(側室) 養父:松平光行 |
兄弟 | 光年、錠姫(松平光行正室)、京極高有継室 |
妻 |
正室:辰(戸田氏教の娘) 継室:寿美(蜂須賀重喜の娘) |
子 |
光領、松姫(正親町三条実義室) 養子:光庸 |
生涯
編集天明元年(1781年)、信濃松本藩5代藩主・松平光悌の長男として生まれる。父が死去した時は幼少だったため、分家の5000石旗本戸田家から光行が養子となり家督を相続した。寛政6年(1794年)2月24日、光行の養子となる。同年4月1日、徳川家斉に初御目見する。同年12月16日、従五位下・河内守に叙任する。寛政12年(1800年)2月23日、光行の隠居により家督を相続した。
文化14年(1817年)9月10日、奏者番に就任する。文政11年12月12日(1829年)、寺社奉行加役を命じられ従四位下となる。天保5年(1834年)、将軍徳川家斉より松を下賜され、松本城内に植える。天保8年(1837年)、松本で没し、戸田家廟に埋葬された。跡を先代・光行の三男で自身の甥に当たる養子の光庸が継いだ。
系譜
編集父母
正室、継室
側室
- 萩原氏
- 中村氏
- 保谷氏
子女
養子
参考文献
編集- 金井円『近世大名領の研究』