松平 信充(まつだいら のぶみつ)は、上野吉井藩の第6代藩主。鷹司松平家8代。

 
松平信充
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 安永2年9月20日1773年11月4日[1]
死没 享和3年2月9日1803年3月31日
改名 千之進(幼名)→信充
戒名 大智院殿広観恵性大居士
墓所 東京都新宿区富久町の自證院
官位 大蔵大輔、左兵衛督従四位下、侍従
幕府 江戸幕府
上野吉井藩
氏族 鷹司松平家
父母 父:松平信明、養父:松平信成
鷹司政煕の娘
養子:信敬
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安永2年(1773年)9月20日、第4代藩主・松平信明の次男として生まれる。

寛政元年(1789年)に第5代藩主・松平信成の養子となる。寛政4年(1792年)4月1日、将軍徳川家斉に拝謁する。寛政5年12月16日(1794年1月17日)、従五位下・大蔵大輔に叙任する。後に左兵衛督に改める。寛政12年(1800年)2月13日、陞従四位下、信成の隠居にともない家督を継いだ。同年12月16日、侍従に任官した。しかし3年後の享和3年(1803年)2月9日(表向きには2月30日)に死去した。享年31。

跡を養子の信敬(信成の実子)が継いだ[2]

系譜

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父母

正室

養子

脚注

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  1. ^ 「明治二十六年正月 吉井藩主系図」(『群馬県史 資料編9(近世1 西毛地域1)』(群馬県、1977年)p.175)。同資料によれば、没年齢の29歳は「表向」(官年)とされる。
  2. ^ 「明治二十六年正月 吉井藩主系図」(『群馬県史 資料編9(近世1 西毛地域1)』(群馬県、1977年)p.176)