松川 勉(まつかわ つとむ、1943年12月12日[1][2][3] - )は、日本の元俳優。本名同じ[1][2][3][4]

まつかわ つとむ
松川 勉
本名 松川 勉
生年月日 (1943-12-12) 1943年12月12日(80歳)
出生地 日本の旗 日本東京都
身長 172 cm
職業 俳優
活動内容 映画テレビドラマ舞台
主な作品
映画
歌え若人達』『死闘の伝説
音楽』『さえてるやつら』
テレビドラマ
文五捕物絵図』『オレとシャム猫
ジャンボーグA』『白い牙
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東京都出身[1][2][3][4]身長172cm体重62kg[1]慶應義塾大学法学部法律学科卒業[1][2][3]。オフィスC&Pに所属していた[1]

人物

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高校時代よりアルバイトでモデルとして活動[4][5]1962年松竹の社員にスカウトされ、1963年公開の松竹映画歌え若人達』で主演デビュー[4][5]。大学3年時に正式に芸能界入りを決意して俳優座養成所に第16期生として入る[1][4]

1967年の養成所卒業後は、作家の三島由紀夫率いる浪曼劇場に所属し、『三原色』で初舞台[4][6]。舞台公演以外にも、数々の映画、テレビドラマで活躍した[3]

テレビドラマでは、1967年の『文五捕物絵図』(NHK)で文五の配下となって協力する大工の三次役でレギュラー出演。当時の紹介記事では「持ち前のファイトで、スタッフからの評判も良い」と紹介されている[4]

1969年のテレビドラマ『オレとシャム猫』(TBS)に、それまで主演を務めていた石坂浩二が、NHK大河ドラマ天と地と』出演などで多忙となったため、第10話「野獣暁に死す」より主役の深尾龍太役でレギュラー出演[3][7]。当時の紹介記事では「これまで好青年役が多かったので、初の主演でアクション作品なので張り切っています」と述べている[2]

1972年NTV火曜日の女』の一編である「ホーム・スイート・ホーム」に、小林昭二を助ける若手刑事・松村透役で出演。本作の紹介記事の中で「小林さんとのコンビネーションが画面に出ればと思ってます」と述べている[3]

1973年特撮テレビドラマジャンボーグA』(毎日放送)では、地球パトロール隊・PATの浜田守隊員(→後に隊長に昇格)役でレギュラー出演した[8]

趣味は、テニス[2][4][6]水上スキー[4]ギター[2]。好きな俳優に、芥川比呂志ジェーン・フォンダを挙げている[4]

出演

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テレビドラマ

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映画

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  • 歌え若人達(1963年、松竹) - 主演・森康彦
  • 死闘の伝説(1963年、松竹) - 園部範雄
  • 香華(1964年、松竹)
  • 囁きのジョー(1967年、松竹) - マックス・ホールの常連A
  • でんきくらげ 可愛い悪魔(1970年、大映) - 兵藤正男
  • 音楽(1972年、ATG) - 花井
  • 夜の禁猟区(1973年、日活) - 上条力也
  • さえてるやつら(1973年、東宝) - 佐野先生
  • 学生やくざ(1974年、東映) - 尾関剛二
  • 西陣心中(1977年、ATG) - 水川隆夫

舞台

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  • 三原色(1967年、浪曼劇場
  • 若きハイデルベルヒ(1968年、浪曼劇場) - 学生ペーター
  • スラヴィークの夕食(1968年、アンダーグラウンド蠍座)
  • 黒蜥蜴(1968年、浪曼劇場) - 警官B
  • 皇女フェドラ(1969年、浪曼劇場)
  • 15の未来派の作品(1969年、アートシアター新宿文化

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 日本タレント名鑑'83』VIPタイムズ社、1982年、199頁。 
  2. ^ a b c d e f g 福島民報』1969年4月10日付朝刊、8面。
  3. ^ a b c d e f g 河北新報』1972年8月6日付朝刊、10面。
  4. ^ a b c d e f g h i j 『福島民報』1967年7月14日付朝刊、6面。
  5. ^ a b 毎日新聞』1962年11月17日付夕刊、5面。
  6. ^ a b 『新劇便覧'81』テアトロ、1981年、159頁。 
  7. ^ 『読売新聞』1969年4月8日付夕刊、12面。
  8. ^ ブレインナビ 編 編『快傑ズバット大全』双葉社、2002年5月25日、107頁。ISBN 978-4575293715