松尾輝義
日本のプロ野球選手 (1951-)
松尾 輝義(まつお てるよし、1951年4月23日 - )は、長崎県長崎市竿浦町出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 長崎県長崎市竿浦町 |
生年月日 | 1951年4月23日(73歳) |
身長 体重 |
180 cm 72 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1969年 ドラフト10位 |
初出場 | 1973年8月3日 |
最終出場 | 1973年8月27日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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来歴・人物
編集長崎商業高校ではエース、四番打者として活躍。1968年秋季九州大会に進み、1回戦で宮崎商の西井哲夫と投げ合うが惜敗、春の選抜出場を逸する。1969年夏の甲子園に出場。2回戦(初戦)で若狭高に惜敗[1]。同年の長崎創造国体にも出場。準々決勝(初戦)で取手一高に敗退。
1969年ドラフト会議で読売ジャイアンツから10位指名を受け入団。1973年に一軍に上がり、8月8日には大洋を相手に初先発を果たすが、3回3失点で関本四十四にリリーフを仰ぐ。8月17日には同じ大洋との対戦で2回目の先発、味方が先取点を奪うが、2回に同点とされ早々に降板した。その後は登板機会に恵まれず、1979年限りで引退。
威力のある速球とカーブを武器にしたが、制球力に課題があった。
詳細情報
編集年度別投手成績
編集年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1973 | 巨人 | 5 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | -- | ---- | 34 | 7.1 | 6 | 2 | 5 | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 | 5 | 4 | 5.14 | 1.50 |
通算:1年 | 5 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | -- | ---- | 34 | 7.1 | 6 | 2 | 5 | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 | 5 | 4 | 5.14 | 1.50 |
記録
編集- 初登板:1973年8月3日、対阪神タイガース16回戦(阪神甲子園球場)、8回裏に2番手で救援登板・完了、1回無失点
- 初先発:1973年8月8日、対大洋ホエールズ17回戦(川崎球場)、3回3失点で勝敗つかず
背番号
編集- 54 (1970年 - 1976年)
- 84 (1977年 - 1979年)
脚注
編集- ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年