松原 亘子(まつばら のぶこ[1]1941年1月9日 - )は、日本の元労働官僚。労働事務次官を退官した後は、駐イタリアアルバニアサンマリノ特命全権大使三井物産株式会社社外取締役、株式会社大和証券グループ本社取締役、2017年2月14日から株式会社電通社外取締役[2]を歴任した。

まつばら のぶこ

松原 亘子
生誕 (1941-01-09) 1941年1月9日(83歳)
日本の旗 日本 島根県
出身校 イリノイ大学大学院 修了
著名な実績 女性初の事務次官労働事務次官
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来歴・人物

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島根県出身。1959年東京都立日比谷高等学校卒業[3]1964年東京大学教養学部を卒業し、労働省入省[1]。東大在学中の4年次に国家公務員に志望変更し、一年留年して入省した。当時女性は少なく、この年(1964年)上級職で採用された同期女性は厚生省横尾和子(のちの最高裁判所判事)、通産省の伊藤よし子(のち蒲よし子、夭折)ら数えるほどであった[4]

入省後、婦人局長、労働基準局長、労政局長を経て[1]、1997年に女性初の事務次官労働事務次官)に就任したが[5]、これは日比谷高出身で同期入省の七瀬時雄の後を受けて事務次官に就任した珍しい事例となる。“次官の同期は去る”という霞ヶ関のルールを覆し、次官候補に挙がっていた理由は、男女雇用機会均等法、育児休業法、介護休業法(現在の育児介護休業法)などの策定に中心的に関わった松原を就任させなければ、以後、"女性次官"は現れてこないだろうと言われる逸材であったからとされている[6]

1998年10月に退官後は、駐イタリアアルバニアサンマリノ特命全権大使を務めた。この人事は、外務省が不祥事で世論から批判を浴びる中、G8国の大使ポストの1つを外務官僚以外から出すようにと、政権与党から外務省に要求があったことによる[要出典]

2015年春の叙勲で瑞宝重光章受章[7]

通称ないしニックネームは「まつばら たんこ」[6]。夫で、同じく労働省官僚(職業能力開発局長)であった松原東樹は日比谷高校の一年後輩であり、東大の同級生にあたる。

学歴

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職歴

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社会的活動

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  • 内閣府沖縄振興開発審議会委員
  • 財団法人日本カメラ財団評議員
  • ワーク・ライフ・バランス推進会議代表幹事
  • 金融庁金融審議会委員
  • 金融庁自動車損害賠償責任保険審議会委員
  • 第30回ジャパンウィーク2005年イタリア・ナポリ実行委員会名誉顧問

脚注・出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 電通取締役人事(代表取締役の異動)” (PDF). 電通 (2017年2月14日). 2020年7月18日閲覧。
  2. ^ 2017年2月下旬、電通の新入女性社員過労自殺事件を受けた働き方改革で、社外の専門家らで構成する独立監査委員会を設置した。あわせて社外取締役には労働事務次官経験者の松原亘子が新たに就いた(電通、独立監査委設置へ 過労自殺受けた働き方改革 和気真也、朝日新聞デジタル、2017年2月15日)
  3. ^ トワイライトフォーラム 過去講演会一覧 日比谷高校同窓会如蘭会HP
  4. ^ 「日本官僚制総合事典 1868-2000」巻末掲載各省キャリア官僚年次別入省者 秦郁彦東京大学出版会 2001年
  5. ^ 次期厚労次官に村木厚子局長 文書偽造事件で逮捕も無罪確定”. 2015年9月27日閲覧。
  6. ^ a b 「官僚極秘人事録―私たちはこんな人です (別冊宝島ムック)」『労働省の章』 宝島社、1996年12月1日
  7. ^ “春の叙勲4087人 石原元都知事ら旭日大綬章”. (2015年4月29日). https://www.nikkei.com/article/DGXLZO86281500Z20C15A4PP8000/ 2020年7月18日閲覧。 
  8. ^ [1]
  9. ^ 学歴・官歴は「労働省名鑑 〈1997年版〉」 米盛幹雄 時評社 1996年11月、及び「官報」掲載人事異動辞令等を参照。
先代
高橋樹太郎
労働省婦人局長
1991年 - 1995年
次代
太田芳枝
先代
廣見和夫
労働省労働基準局長
1995年 - 1996年
次代
伊藤庄平
先代
七瀬時雄
労働事務次官
1997年 - 1998年
次代
征矢紀臣