松前由広
時代 | 江戸時代初期 |
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生誕 | 文禄3年(1594年) |
死没 | 慶長19年12月26日(1615年2月13日) |
改名 | 綱丸(幼名)→種広(初名)→由広 |
別名 | 数馬 |
藩 | 松前藩 |
氏族 | 松前氏 |
父母 |
父:松前慶広、母:不詳 養父:松前盛広 |
兄弟 | 盛広、喜庭直信室、忠広、利広、由広、次広、景広、安広、満広、下国広季室 |
略歴
編集文禄3年(1594年)、松前慶広の四男として誕生。幼名は数馬。長兄・盛広になかなか嗣子が生まれなかったため、兄の養子に迎えられた。しかし兄に嗣子として公広が生まれると、養子関係を白紙に戻されている。
このような経緯から、父や兄とは仲が悪かったらしく、また甥の公広とも常に反目していたといわれる。慶長19年(1614年)に大坂冬の陣が始まると、父・慶広から豊臣氏に内通したとの嫌疑をかけられ、討伐の命を受けた工藤祐種により12月26日に殺害された。享年21。