松井利樹
松井 利樹(まつい としき、1945年7月28日 - )は静岡県出身のプロゴルファー。
Toshiki MATSUI | |
---|---|
基本情報 | |
名前 | 松井 利樹 |
生年月日 | 1945年7月28日(79歳) |
身長 | 173 cm (5 ft 8 in) |
体重 | 76 kg (168 lb) |
国籍 | 日本 |
出身地 | 静岡県 |
経歴 |
来歴
編集1966年にプロテストで合格し[1]、1967年の美津濃プロ新人で初優勝[2]。以後は国内外のツアー500戦以上に出場し[1]、1978年の賞金ランキング62位がベストとなる[3]。
1976年のKBCオーガスタでは最終日に67をマークし、宮本康弘・岩下吉久・山田健一・中嶋常幸・石井裕士・山本善隆と並んでの6位タイ[4]に入った。
1981年の富山県オープンでは三上法夫・関水利晃・杉本英世を抑えて[5] [6]優勝し[3]、1985年のパールカントリークラブオープンでは額賀靖生・大町昭義・鷹巣南雄・芹澤信雄を抑えて日本勢最上位の3位[7]、1987年の岐阜県オープンでは豊田明夫と並んで高阪喜久の2位タイ[8]、1988年の水戸グリーンオープンでは寺田寿・佐々木久行と並んで青木基正の3位タイ[9]に入った。
1991年の中部オープン[10]を最後にレギュラーツアーから引退し、1995年からはシニアに転向[1]。日本シニアオープンでは1996年9位→1997年5位と2年連続十傑入りし[11]、2002年は開幕戦のキャッスルヒルオープンでは鷹巣・松本紀彦と3人のプレーオフとなり5ホール目で鷹巣にバーディーを決められ涙を飲む[3]。オールドマンパーシニアでは最終日65のベストスコアをマークし首位に並び、中山徹、天野勝、小林富士夫と4人のプレーオフになったが、プレーオフ2ホール目に中山にバーディーを決められシニア初優勝を2度ともプレーオフで逃がした[3]。
東京都台東区浅草でジェプスゴルフクラブを経営・主宰し、テレビや新聞での試合解説、ゴルフレッスンなど、多方面で活躍[1]。
2007年のアデランスウェルネスオープン[2]を最後にシニアツアーから引退。
主な優勝
編集- 1967年 - 美津濃プロ新人
- 1981年 - 富山県オープン
脚注
編集- ^ a b c d “松井利樹”. www.hmv.co.jp. 2023年9月2日閲覧。
- ^ a b “松井 利樹 - PGA会員詳細 - 公益社団法人 日本プロゴルフ協会”. www.smile-pga.jp. 2023年9月2日閲覧。
- ^ a b c d “2003年シニア選手紹介”. 2004年5月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年12月12日閲覧。
- ^ 朝日新聞縮刷版p862 昭和51年8月30日朝刊18面「マーシュ(豪)優勝 安田二位 KBCゴルフ」
- ^ 毎日新聞縮刷版p396 昭和56年7月12日朝刊18面
- ^ 朝日新聞縮刷版p471 昭和56年7月12日朝刊17面
- ^ “ハワイパールオープン”. 2012年2月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年6月26日閲覧。
- ^ 日刊スポーツ昭和62年11月2日7面
- ^ “【公式】水戸グリーンカントリークラブ”. www.mgcc.jp. 2024年2月21日閲覧。
- ^ “松井 利樹選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2023年9月2日閲覧。
- ^ “松井 利樹選手のプロフィール”. www.jga.or.jp. 2023年9月2日閲覧。