杵屋 てる(きねや てる、1844年(弘化元年) - 1909年(明治42年)7月23日)は、長唄の唄方である。医師大野平左衛門の娘で、8代目杵屋六三郎の妻。長唄の名人と伝えられている。
30曲余りを作曲し、しばしば皇族邸へ伺候して演奏をした。三味線より唄に優れていて、特に「勧進帳」は絶品であったと伝えられている。
明治42年7月23日死去。66歳。(稀音家義丸補足)