東野智弥
東野 智弥(ひがしの ともや、1970年9月9日 - )は、石川県出身の元バスケットボール選手、バスケットボール指導者である。ニックネームは「クラッシャー」。現役時代のポジションはシューティングガード。
日本バスケットボール協会 | |
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ポジション | SG |
役職 | 技術委員会委員長 |
基本情報 | |
愛称 | クラッシャー |
国籍 | 日本 |
生年月日 | 1970年9月9日(54歳) |
出身地 | 石川県 |
キャリア情報 | |
出身 | 早稲田大学 |
選手経歴 | |
1986-1989 1989-1993 1993-1995 |
北陸高校 早稲田大学 アンフィニ東京 |
指導者経歴 | |
1996-1998 1998-1999 1999-2001 2001-2004 2004-2006 2007-2010 2010-2012 2013-2016 |
ルイス&クラーク大学(AC) 三井生命ファルコンズ(AC) 所沢ブロンコス トヨタ自動車アルバルク(AC) 日本代表(AC) レラカムイ北海道 日本代表(AC) 浜松・東三河フェニックス |
来歴
編集北陸高校では、佐古賢一、高柳信也、塩屋清文らとともに全国大会優勝に貢献。
その後、早稲田大学を経て、1993年にアンフィニ東京(さいたまブロンコスの前身)に入社[1]、全日本実業団選手権準優勝に貢献。
3シーズンプレーした後退社し渡米。半年の語学留学を経て、ルイス&クラーク大学でアシスタントコーチに就任[1]。2シーズン目には、カンファレンスチャンピオン・全米NAIAトーナメントベスト8となる。
1998年10月に帰国し、三井生命ファルコンズのアシスタントコーチに就任[1]。しかし1シーズンで休部。
1999年、エミネクロス・メディカルセンターのスポーツコーディネーター、所沢ブロンコスのヘッドコーチ、母校である早稲田大学のコーチ、同5月、全日本車椅子バスケットボールチーム・アドバイザーコーチ(2008年まで)にも就任[1]。
2001年5月、トヨタ自動車アルバルクのアシスタントコーチに就任[1]。創部54年目のリーグ初優勝に導く。
2004年5月、ジェリコ・パブリセヴィッチヘッドコーチの元、日本代表アシスタントコーチに就任。2006年の世界選手権まで務める[1]。
2007年より日本バスケットボールリーグに参戦するレラカムイ北海道の初代ヘッドコーチに就任。3シーズン務めた後2010年退任[1]。
同年5月、日本代表アシスタントコーチに復帰。2012年3月をもって退任[1]。
2012年、NBAチームミルウォーキー・バックスのアシスタントコーチとしてサマーリーグに参戦[1]。
2010年より開始されるWOWOWのNBA中継にて解説者を務める。
2013年3月、浜松・東三河フェニックスヘッドコーチに就任[1]。2014-15シーズンにbjリーグ優勝を達成。2016年、浜松・東三河との契約満了。 日本バスケットボール協会技術委員会委員長に就任[2][3]。
2019年2月、バスケットボール男子日本代表は、FIBAワールドカップアジア予選を突破しワールドカップ出場を決めた。ワールドカップ出場は日本開催の2006年以来3大会ぶりで、自力出場は1998年大会以来21年ぶり。
経歴
編集- 選手
- 三木小学校→錦城中学校→北陸高校 → 早稲田大学→アンフィニ東京
著書
編集- バスケットボール 勝つための最新セットプレー88(小谷究との共同編著、エクシア出版2021年9月22日発行、ISBN 978-4908804762)
脚注
編集- ^ a b c d e f g h i j ヘッドコーチ契約締結のお知らせ浜松・東三河フェニックス2013年6月11日
- ^ 『公益財団法人日本バスケットボール協会(JBA) 技術委員会 委員長に東野智弥氏が就任』(プレスリリース)公益財団法人日本バスケットボール協会、2016年5月19日 。
- ^ “東野HC契約満了、日本バスケットボール協会 技術委員会 委員長就任のお知らせ”. 株式会社フェニックス (2016年5月19日). 2016年5月19日閲覧。