東海建設
概要
編集東海大学が大株主となり1962年に設立[1]。その後、大成建設の出資を受けて事業を拡大した[1]。
1993年には金メダリスト(1964年東京五輪柔道)の猪熊功が社長に就任したが、折からのバブル崩壊に伴い経営が悪化。猪熊は経営責任を取る形で、2001年9月28日社長室において自刃死を遂げた[2][3] 。同年10月12日、東京地方裁判所から破産宣告を受けた[1]。負債額は243億円であった[4]。
関連会社の東海不動産管理も同時に自己破産の申し立てを行った[5]。また、石狩郡当別町のゴルフ場「石狩平原カントリークラブ」や、「石狩平原スキー場」の運営を行っていた東海スポーツ振興も2002年1月29日、破産宣告を受けた[6]。東海興業とは無関係。
脚注
編集- ^ a b c d “ゴルフ場最新ニュース速報”. ラ・アトレ (2001年10月22日). 2019年1月1日閲覧。
- ^ “【第35号】猪熊功-「ケンカ柔道」で決勝優勢勝ち”. サンケイスポーツ (2004年). 2011年8月19日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “闘志の人、逝く。追悼・猪熊功氏 -「三冠」持つ国際的な実務家-”. 近代柔道(2001年11月号) (ベースボール・マガジン社). (2011年11月20日)
- ^ “ゼネコンの倒産動向調査” (PDF). 帝国データバンク. 2011年8月19日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “東海建設株式会社及び子会社 東海不動産管理株式会社に対する債権取立不能及び取立遅延のおそれに関するお知らせ” (PDF). 大和銀行 (2001年10月16日). 2011年8月19日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “ゴルフ会員権ニュース”. ベストゴルフ (2002年1月30日). 2011年8月19日閲覧。
関連書籍
編集- 『勝負あり――猪熊功の光と影』著者:井上斌、神山典士、(2004年、河出書房)ISBN 978-4309016733