村松巌
日本の銀行家
村松 巖(むらまつ いわお、1926年(大正15年)1月1日 - 2010年(平成22年)3月11日[2])は、日本の銀行家。七十七銀行頭取。
むらまつ いわお 村松 巖 | |
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生誕 |
1926年1月1日 日本・宮城県亘理町 |
死没 | 2010年3月11日(84歳没) |
出身校 | 東京大学経済学部 |
職業 | 銀行家 |
栄誉 |
仙台市特別市政功労者(1999年) 勲三等瑞宝章(2000年) 亘理町名誉町民(2000年) 正五位(2010年)[1] |
来歴・人物
編集宮城県亘理町出身。東京大学経済学部卒業後、七十七銀行入行[3]。
総務、人事、融資部門を長く担当した実務派で、銀行業務全般に通じた手腕が買われ、1991年に頭取に就任した[4]。
頭取在任時においては、ATMの日曜稼動、7ヶ店の支店出張所の新設など営業基盤の拡充に取り組んだ[5]。
仙台商工会議所会頭時代は、大手の圧力に対して仙台市の伝統である1月2日初売りを堅持する方針を崩さず、元日営業の店舗でも基本的に通常営業にとどめさせ、いわゆる「初売り」は2日に行わせるという方針を徹底させた。
略歴
編集- 1948年(昭和23年) - 東京大学経済学部卒業後、七十七銀行入行[3]。
- 以降、企画、預金推進各課長、原町支店長、業務部次長、秋田支店長等を歴任する[3]。
- 1972年(昭和47年) - 取締役総務部長委嘱[3]。
- 1973年(昭和48年) - 取締役人事部長委嘱[3]。
- 1976年(昭和51年) - 取締役融資部長委嘱[3]。
- 1984年(昭和59年) - 専務取締役[3]。
- 1987年(昭和62年) - 副頭取[3]。
- 1991年(平成3年) - 頭取[3]。
- 1996年(平成8年) - 会長。
- 1999年(平成11年) - 仙台商工会議所会頭。
- 1998年(平成10年) - 宮城総合研究所理事長。
- 2001年(平成13年) - 七十七銀行相談役。
- 2004年(平成16年) - 仙台商工会議所会頭を退任。
- 2010年(平成22年) - 死去[2]。
脚注
編集参考文献
編集- 『日本金融名鑑1993年版 上巻』日本金融通信社、1992年9月。