村岡恒利
日本陸軍の軍人
村岡 恒利(むらおか つねとし、1865年9月7日(慶応元年7月18日)[1] - 1921年(大正10年)12月)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。妻・ていは木子幸三郎の姉[1]。
経歴
編集京都府出身。士族・村岡恒徳の四男[1]。陸軍士官学校(旧7期)に入り、1885年(明治18年)6月、陸軍砲兵少尉任官。同期には宇都宮太郎・島川文八郎両大将や柴勝三郎中将らがいる。1887年(明治20年)に陸士を卒業。
1904年(明治37年)2月、東京湾要塞砲兵連隊長に就任し、同年11月、砲兵大佐に昇進。1907年(明治40年)10月、重砲兵第1連隊長に異動。1908年(明治41年)12月、陸軍技術審査部審査官に就任。1910年(明治43年)11月、陸軍少将に進み大阪砲兵工廠提理となる。1915年(大正4年)2月、陸軍中将に進級。
1919年(大正8年)11月、陸軍技術本部長に就任。1920年(大正9年)8月、待命となり、同年12月、予備役に編入された。
栄典
編集- 位階
- 勲章
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。