村山ませ子
村山 ませ子(むらやま ませこ、1843年(天保14年) - 1920年(大正9年)11月22日)は、幕末の江戸城大奥女中。旗本・大岡孫右衛門の娘で、大岡義方の孫、大奥御年寄の瀧山は叔母、勝海舟のはとこに当たる。女中時代はませと名乗る。
むらやま ませこ 村山 ませ子 | |
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生誕 | 1843年(天保14年) |
死没 | 1920年(大正9年)11月22日 |
別名 | 女中時代:ませ |
職業 | 大奥女中 |
時代 | 江戸時代後期 - 大正時代中期 |
雇用者 | 天璋院 |
配偶者 | 村山鎮 |
親 | 父:大岡孫右衛門 |
親戚 | 叔母:瀧山 |
家族 | 祖父:大岡義方 |
13代将軍・徳川家定の御台所・天璋院に仕え、御中臈となる。文久3年(1863年)、暇を出されるが、以後も無給で大奥に仕え、天璋院の飼い猫の世話をしていたという[1]。大奥瓦解後は徳川慶喜の小姓だった村山鎮と結婚し、名をませ子と改めた。
維新後に三田村鳶魚から大奥についての詳細な取材を受けている。その内容は三田村の著書『御殿女中』に詳しく書かれており、大奥研究に大きく貢献している。