村上清 (政治家)
日本の検事、高知市長
村上 清(むらかみ きよし、1875年(明治8年)2月2日[1] - 1935年(昭和10年)12月31日[2])は、日本の検事。高知市長。財団法人板垣伯銅像記念碑建設同志会第6代会長。
経歴
編集高知県香美郡山北村(現在の香南市)出身[1]。通信書記、海軍属を経て、1899年(明治32年)に明治法律学校(現在の明治大学)を卒業した[1]。翌年、判事検事登用試験に合格し、高知、福知山、京都、堺、大阪、五條、青森の各裁判所で検事を務めた[3]。1908年(明治41年)、韓国の検事に転じた[3]。その後、朝鮮総督府裁判所検事を務め、1920年(大正9年)には朝鮮総督府地方法院検事正に任ぜられ、勅任官待遇となった[3]。1924年(大正13年)、退官して弁護士を開業した[3]。また高知県会議員、同参事会員などに選ばれた[3]。
脚注
編集参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録 第10版(下)』人事興信所、1934年。
- 『日本の歴代市長 第3巻』歴代知事編纂会、1985年。