李翰 (新羅)
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李 翰(り かん、朝鮮語: 이한、? - 754年)は、統一新羅で「司空」という役職に就いていた全州李氏の始祖。
李 翰 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 이한 |
漢字: | 李 翰 |
日本語読み: | り かん |
概要
編集脚注
編集- ^ 池内宏『李朝の四祖の伝説とその構成』中央公論美術出版〈満鮮史研究 近世編〉、1972年。
- ^ 山内弘一 著、武田幸男 編『朝鮮王朝の成立と両班支配体制』山川出版社〈朝鮮史〉、2000年8月1日。ISBN 978-4634413207。
- ^ 岸本美緒、宮嶋博史『明清と李朝の時代』中央公論社〈世界の歴史 (12)〉、1998年4月1日、17頁。ISBN 4124034121。「全州李氏の一族とされるが、女真族の出身とする説もある。父の李子春は、元の直轄領となっていた咸鏡道地域の双城総管府に使える武人であった。この地域は女真族が多く住んでいた。李成桂が武臣として台頭するにあたっても、その配下の女真人の力が大きく作用した。」