李殷相
李 殷相(イ・ウンサン、이은상、1903年 - 1982年)は韓国の詩人である。慶尚南道の昌原出身[1]。本貫は全州李氏[2]。
李 殷相 | |
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誕生 |
1903年10月22日[1] 慶尚南道馬山市 (現在の 韓国) |
死没 | 1982年9月18日(78歳没) |
職業 | 詩人 |
言語 | 朝鮮語 |
国籍 | 韓国 |
教育 | 延禧専門学校、早稲田大学 |
活動期間 | 1922年 – 1982年 |
ジャンル | 詩 |
代表作 | 「悲しい野鹿」、「가고파(行きたい)」 |
デビュー作 | 「父を亡くして」 |
李殷相 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 이은상 |
漢字: | 李殷相 |
発音: | イ・ウンサン |
英語表記: | Eun-sang Lee |
略歴
編集雅号は鷺山である。1903年10月22日、馬山で生まれる。1920年、延禧専門学校に入学して2年を修学してから、日本の早稲田大学へ留学した。1928年、帰国して「朝鮮語辞書編纂委員会」で働く。韓国固有の詩である時調の現代化に貢献して、李秉岐とは双璧を成しながら詩調の一つの類型を完成させた。
彼の作品のほとんどは、曲になって歌曲として歌われるほど、伝統の詩調形式を現代的なリズムでとしてうまく消化させている。このような点は、李秉岐とは異なる特徴でもある。
受賞歴
編集主な作品
編集- 1932年、『가고파』(行きたい)[3]
- 1936年、『무상』(無常)
- 1951年、『민족의 맥박』(民族の脈拍)
- 1962年、『피 어린 육백리』(血の滲んだ六百里)
- 1966年、『철도의 노래』(鉄道の歌)
脚注
編集- ^ “(3)전주 이씨(全州李氏)-2,609,890명” (朝鮮語). 서울이코노미뉴스 (2014年7月5日). 2022年8月16日閲覧。