李寿福
生涯
編集全羅南道咸平郡出身。ソウル大学校予科、朝鮮大学校講師を経て、1965年に朝鮮大学校国語国文学科卒[1]。
1954年、『文芸』に『椿の花』を発表し文壇に登場した。1955年、『蟋蟀』、『春雨』を現代文学に推薦した。
1957年には第3回現代文学新人文学賞を受賞した。他に光州スピア女子高校、順天高校、全南高校などの高校で教員を務めた[1]。
脚注
編集- ^ a b c “이수복(李壽福)”. 韓国民族文化大百科事典. 2022年9月9日閲覧。
- ^ “詩人(시인) 李壽福(이수복)씨 별세”. 네이버 뉴스 라이브러리. 동아일보 (1986年4月10日). 2022年9月9日閲覧。
- ^ “원로시인 李壽福(이수복)씨(64)”. 네이버 뉴스 라이브러리. 경향신문 (1986年4月11日). 2022年9月9日閲覧。