李一珪
李 一珪(イ・イルギュ、1920年12月16日 - 2007年12月2日)は、大韓民国の第10代大法院長。本貫は韓山李氏[1]。
李一珪 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 이일규 |
漢字: | 李一珪 |
発音: | イ・イルギュ |
ローマ字: | Lee Il-kyu |
概要
編集1943年9月、関西大学専門部第二部法科を卒業後[2]、関西大学法文学部に進学するも同年11月学徒出陣し、高射砲陣地で終戦を迎えた。1948年第2回朝鮮弁護士試験に合格し、大邱地方法院(地方裁判所)、光州高等法院(高等裁判所)などで裁判官を歴任。1975年の人民革命党事件裁判では、大法院判事として被告人の死刑判決決定に際し唯一の少数意見を表明した[3]。1988年には第10代大法院長(日本の最高裁長官に相当)に任命された。
脚注
編集- ^ “[김성회의 뿌리를 찾아서] 한국의 성씨 이야기 韓山 이씨” (朝鮮語). 세계일보 (2012年1月10日). 2024年5月7日閲覧。
- ^ 중심 칸사이대학”(“関関同立の関西大学”). 박찬운의 아브라카다브라 2018年1月20日
- ^ “인혁당 사건…왜 법관됐나 후회도 했다” (“人革党事件・・・なぜ法官になったのか後悔もした”).京郷新聞2007年1月29日
参考文献
編集- 『関西大学人権問題研究室紀要第13号、創立100周年記念特輯』(1986年11月 関西大学)