杉浦正美
略歴
編集豊橋市で生まれたが、5歳で母を亡くした後は1934年に福江町(現:田原市)に移り、祖母に育てられた[2]。その後、名古屋市に転居。
1952年、北川民次 、安藤幹衛に師事[2]。同年、「工場」で第37回二科展絵画部に初入選[3]。以後は公告デザインを手掛けながら、描き続けた。
1961年、「火工」で第46回二科展絵画部で特選受賞[3]。1963年、二科展絵画部会友に推挙された。その後も二科展を中心に様々な展覧会に出品を続けると同時に、個展を数多く開催した。1980年、二科展絵画部会員推挙。1987年、「島の月」で第72回二科展絵画部会員努力賞を受賞した[1][2]。
画風
編集初入選作「工場」は工場労働者を描いており[2]、その後もしばらくは描き続けていた。
1975年頃からは、スリランカやメキシコなどの取材をもとに、メキシコ絵画の影響を受けた土俗的な作品を手がけるようになる[2]。
1986年に祖母をモチーフにした作品「鬼のあかちゃん」を発表した以降は、渥美半島で過ごした幼少期の原風景や体験を背景に、母子像や寓話と神話をイメージした作品を多く発表している[2][5]。
脚注
編集- ^ a b 二科会絵画部. “二科会絵画部ギャラリー”. 2011年10月2日閲覧。(杉浦正美のプロフィール参照)
- ^ a b c d e f g 田原市博物館/渥美郷土資料館. “平成22年春の企画展「田原の美術 杉浦正美展-幻想と創造の世界-」”. 2011年10月2日閲覧。
- ^ a b 田原市博物館/渥美郷土資料館. “平成22年春の企画展「田原の美術 杉浦正美展-幻想と創造の世界-」展示作品リスト”. 2011年10月2日閲覧。
- ^ 「二科展に6人入選 栄中日文化センター・杉浦洋画教室」、中日新聞朝刊愛知版、2011年9月16日。
- ^ 東日新聞 (2010年5月17日). “田原市博物館で杉浦正美個展”. 2011年10月2日閲覧。