杉浦久勝
杉浦 久勝(すぎうら ひさかつ)は、戦国時代から安土桃山時代の武将。徳川家康の家臣で、大久保忠世・忠隣2代に属した。
時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 天文8年(1539年) |
死没 | 慶長5年9月7日(1600年10月13日) |
別名 | 久三、惣左衛門 |
戒名 | 善喜 |
墓所 | 正恩寺(神奈川県小田原市) |
主君 | 徳川家康 |
氏族 | 和田氏支族杉浦氏 |
父母 | 杉浦政次、宇津忠茂の娘 |
兄弟 | 吉貞、時勝、親貞、久勝 |
子 | 久成、久真、久元 |
生涯
編集若いころより徳川家康に仕え、永禄6年(1563年)三河一向一揆の蜂起では兄吉貞らとともに上和田砦で武功を立て、戦功により三木村に所領を与えられる。元亀3年(1572年)三方ヶ原の戦いからは大久保忠世の隊に所属。天正2年(1574年)犬居城の戦い、天正3年(1575年)長篠の戦い、天正12年(1584年)小牧・長久手の戦い、天正13年(1585年)第一次上田合戦、天正18年(1590年)小田原征伐などに従軍。慶長5年(1600年)第二次上田合戦では大久保忠隣の旗奉行として従軍し、先鋒として上田城を攻撃する。忠隣は撤兵を命じたもののこれを無視したため、戦後に軍令違反を咎められて自害させられた。
参考文献
編集- 「寛政重修諸家譜」巻第528