朽木綱方
朽木 綱方(くつき つなかた)は、丹波国福知山藩10代藩主。福知山藩朽木家11代。
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 天明6年12月26日(1787年2月13日) |
死没 | 天保9年2月27日(1838年3月22日) |
改名 | 肥後太郎(幼名)、綱方、和竜(法号) |
戒名 | 泰雲院殿寿山椿齢大居士 |
墓所 | 東京都港区高輪の泉岳寺 |
官位 | 従五位下・土佐守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉 |
藩 | 丹波福知山藩主 |
氏族 | 朽木氏 |
父母 | 朽木昌綱、朽木倫綱 |
兄弟 | 唯之助、綱方、米倉昌寿、福寿太郎 |
妻 | 松平資承の娘 |
子 |
健、綱紀ら 綱条 |
略歴
編集天明6年(1786年)12月26日、8代藩主朽木昌綱の次男として生まれる。寛政10年(1798年)8月20日、9代藩主朽木倫綱の養子となる。享和3年(1803年)閏1月12日、倫綱の死去により家督を継ぐ。しかし若年により、しばらくは縁戚(5代藩主玄綱の八男)である松平乗保の後見を受けた。同年9月15日、11代将軍徳川家斉に拝謁する。文化元年(1804年)12月16日、従五位下・土佐守に叙任する。文化7年(1810年)2月2日、大坂加番を命じられる。文化14年(1817年)2月2日、また大坂加番を命じられる。
綱方の治世は文化4年(1807年)に大火が起こるなど、相次ぐ災害で藩財政が悪化していった。このような多難な中で政務への関心を失った綱方は、文政3年(1820年)6月6日に家督を養子(倫綱の実子)の綱条に譲って隠居し、以後はその後見を務めた。
天保9年(1838年)2月27日に死去した。享年53。