札幌市立鴻城小学校
札幌市の小学校
札幌市立鴻城小学校(さっぽろしりつ こうじょうしょうがっこう)は、北海道札幌市北区あいの里3条6丁目にある市立小学校。
札幌市立鴻城小学校 | |
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北緯43度9分45.8秒 東経141度24分6.7秒 / 北緯43.162722度 東経141.401861度座標: 北緯43度9分45.8秒 東経141度24分6.7秒 / 北緯43.162722度 東経141.401861度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 札幌市 |
設立年月日 | 1900年 |
開校記念日 | 11月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B101210220094 |
所在地 | 〒002-8073 |
北海道札幌市北区あいの里3条6丁目2-1 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
概要
編集所在する拓北・あいの里地区は山口県からの入植者によって拓かれた地域であり、郷里の有名私塾であった鴻城義塾に因んで命名された[1]。
当初は1年から6年までの児童すべてが1つの学級で1人の教員から授業を受ける「単級学校」だった[2]。その後も複数の学年が合同で学級を形成する「複式校」であったが、あいの里ニュータウン建設に伴って児童数が増加し、1988年(昭和63年)に学年ごとに学級を形成する「単式校」となった[3]。その後児童数の急増に伴い、1994年に札幌市立あいの里西小学校、1996年に札幌市立あいの里東小学校が分離した。その後は急激に児童数が減少し、2006年には1学年1学級の学年が発生。一時は235名まで減少した。
札幌市教育委員会の事業である「札幌市学校図書館地域開放事業」の指定校となっている。
沿革
編集- 1895年(明治28年)4月 - 山田平助により私立学校設立。
- 1897年(明治30年)5月 - 私学塾から、公立篠路尋常小学校山口分教所となる。
- 1900年(明治33年)5月 - 篠路小学校より独立し、公立鴻城尋常小学校となる。当時の所在地は現在の北海道教育大学札幌校の敷地内。
- 1902年(明治35年) - 夜間開設。
- 1914年(大正3年) - 校舎を拓北219番地に移転。
- 1941年(昭和16年) - 鴻城国民学校と改称。
- 1947年(昭和22年) - 新学制により鴻城小学校と改称。
- 1955年(昭和30年) - 札幌市に合併、札幌市立鴻城小学校となる。
- 1984年(昭和59年) - 新校舎引き渡しを受ける。
- 1988年(昭和63年) - 単式校となる
- 1994年(平成6年) - 311名が分離開校したあいの里西小学校へ移る
- 1996年(平成8年) - 578名が分離開校したあいの里東小学校へ移る
[3]。
児童数・学級数
編集※1999年以降は特殊学級2を含む
通学区域
編集- 北区(あいの里1条5丁目から6丁目、あいの里2条5丁目から6丁目、あいの里3条5丁目から6丁目、あいの里4条5丁目から6丁目、南あいの里5丁目から7丁目)[5]
関連項目
編集脚注
編集- ^ 鴻城小学校のあゆみ
- ^ 『札幌の小学校』p.39
- ^ a b 『札幌の小学校』p.274
- ^ 「鴻城小 117年のあゆみ」
- ^ 北区小学校 通学区域札幌市.2021年3月13日閲覧。
参考文献
編集- 『札幌の小学校』さっぽろ文庫 46