本間善庫
台湾総督府官僚
本間 善庫(ほんま ぜんこ、1885年(明治18年)10月22日[1] - 1960年(昭和35年)11月17日[2])は、台湾総督府官僚。福島県郡山市長。
本間善庫 ほんま ぜんこ | |
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生年月日 | 1885年10月22日 |
出生地 |
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没年月日 | 1960年11月17日(75歳没) |
出身校 | 東京帝国大学法科大学政治科(現東京大学法学部) |
前職 | 台湾製塩監査役 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1947年5月 - 1951年 |
経歴
編集福島県安達郡本宮町(現在の本宮市)出身[3]。1911年(明治44年)に東京帝国大学法科大学政治科を卒業した[4]。愛知県属、同警視、同幡豆郡長[1]を務め、台湾総督府警視に転じた[4]。その後台中州警務部長、台北州警務部長、新竹州内務部長、台湾総督府内務局地方課長、澎湖庁長、台東庁長、台湾総督府交通局理事を歴任した[4]。
退官後は財団法人拓殖奨励館参事、台湾青果株式会社常務取締役、同相談役、台湾協会常務理事、台湾製塩株式会社監査役などを務めた[3][5]。
出典
編集- ^ a b 愛知県幡豆郡誌 p.175 1923.
- ^ 『朝日新聞』(東京本社発行)1960年11月18日朝刊、11頁。
- ^ a b c 日本の歴代市長 第1巻 p.462 1983.
- ^ a b c 人事興信録 1937.
- ^ 人事興信録 1943.
参考文献
編集- 『愛知県幡豆郡誌』幡豆郡、1923年。
- 人事興信所編『人事興信録 第11版(下)』人事興信所、1937年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版(下)』人事興信所、1943年。
- 『日本の歴代市長 第1巻』歴代知事編纂会、1983年。