本郷 亘(ほんごう わたる、正保2年(1645年) – 享保10年(1725年)10月)は、江戸時代前中期の発明家、因幡鳥取藩士[1][2]。子に砲術家の本郷登がいる[3]。通称は又八郎、伊勢右衛門(伊左衛門)、のち和多利(和太利)[1][2]。
正保2年(1645年)播磨に生まれ、寛文5年(1665年)鳥取に移り、同9年(1669年)出仕[2]。地雷や水雷、消火器などを発明する[1][2]。