本蓮寺
本蓮寺(ほんれんじ)は、岡山県瀬戸内市牛窓町にある仏教寺院。山号は経王山、大本山本興寺末。宗派は法華宗本門流である。境内は朝鮮通信使遺跡として国の史跡に指定されている[1]。
本蓮寺 | |
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境内(左に祖師堂、右に三重塔) | |
所在地 | 岡山県瀬戸内市牛窓町牛窓3194 |
位置 | 北緯34度37分0.23秒 東経134度9分50.63秒 / 北緯34.6167306度 東経134.1640639度 |
山号 | 経王山 |
宗派 | 法華宗本門流 |
創建年 | 正平2年(1347年) |
開基 | 大覚 |
文化財 |
本堂、番神堂、中門(重要文化財) 朝鮮通信使遺跡本蓮寺(国の史跡) |
法人番号 | 5260005007902 |
日蓮宗の寺院として始まった。1338年(暦応元年、延元3年)春、大覚大僧正が法華経信仰による仏堂:法華堂を建立したと言われている。 大覚大僧正はその際、牛窓の豪族である石原佐渡守(法名:信功尊儀)を教え導き、仏道に入らせて法華堂の建立を果たしたとも伝えられている。 しかし、『本蓮寺文書』に〈牛窓浦法華堂〉の名称が最初に現れるのは1450年(宝徳2年)であり、法華堂が建てられた経緯は明らかではない。[2]
歴史
編集当寺の歴史は南北朝時代の正平2年(1347年)、京都妙顕寺の座主であった大覚大僧正が法華堂(本堂)を建立したことに始まる。牛窓は古来より風待ち・潮待ちの港として栄えた。江戸時代には朝鮮通信使が寄港し当寺に滞在し、岡山藩の饗応を受けた。朝鮮通信使は江戸時代に12回来日し、対馬から江戸までの各地の大名に使節一行の接待が命じられていた。瀬戸内海の寄港地は牛窓港が岡山藩が接待する港として整備された。本蓮寺は通信使一行が上陸して宿泊する際の宿舎となり、通信使が詠んだ詩書などが伝えられている。牛窓では毎年10月第4日曜日に通信使の風俗を模したという「唐子踊り」が少年によって舞われている[3]。
室町時代の明応元年(1492年)に再建された本堂は番神堂、中門と共に国の重要文化財に指定されている[4][5][6][7][8]。
通信使が使用した客殿には、小堀遠州の手によるといわれる庭園がある(見学は要予約)。
平成6年(1994年)10月11日、「朝鮮通信使遺跡」として広島県福山市鞆町・福禅寺、静岡市清水区興津・清見寺とともに史跡に指定された[1]。
境内
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本堂(国の重要文化財)
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祖師堂(岡山県指定重要文化財)
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三重塔(岡山県指定重要文化財)
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番神堂(国の重要文化財)
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中門(国の重要文化財)
文化財
編集国の重要文化財
編集国の史跡
編集岡山県指定文化財
編集瀬戸内市指定文化財
編集- 本蓮寺山門
アクセス
編集- 両備バス牛窓行きにて本蓮寺下車徒歩約1分。
脚注
編集- ^ a b c 朝鮮通信使遺跡 鞆福禅寺境内 牛窓本蓮寺境内 興津清見寺境内 - 文化遺産オンライン(文化庁)
- ^ 『岡山県大百科事典 下巻』 山陽新聞社 昭和55年1月3日 p798 l8-16
- ^ 広報せとうちNo.157 p.4-5
- ^ a b 本蓮寺本堂 - 文化遺産オンライン(文化庁)
- ^ a b 本蓮寺番神堂 東祠 - 文化遺産オンライン(文化庁)
- ^ a b 本蓮寺番神堂 中祠 - 文化遺産オンライン(文化庁)
- ^ a b 本蓮寺番神堂 西祠 - 文化遺産オンライン(文化庁)
- ^ a b 本蓮寺中門 - 文化遺産オンライン(文化庁)
- ^ “本蓮寺 番神堂(3棟)”. 瀬戸内市. 2017年2月11日閲覧。
- ^ “朝鮮通信使遺跡牛窓本蓮寺境内”. 瀬戸内市. 2017年2月11日閲覧。
- ^ “本蓮寺 三重塔”. 瀬戸内市. 2017年2月11日閲覧。
- ^ “本蓮寺 祖師堂”. 瀬戸内市. 2017年2月11日閲覧。
参考文献
編集- 岡山県高等学校教育研究会社会科部会歴史分科会/編 『新版 岡山県の歴史散歩』 山川出版社 1991年 38 - 39ページ
- 現地説明板