本田義成
日本の政治家 (1871-1952)
本田 義成(ほんだ よしなり、1871年11月6日(明治4年9月24日[1]) - 1952年(昭和27年)4月12日[2])は、衆議院議員(立憲政友会)。長男は日本プロボクシング協会初代会長を務めた本田明[3]。
経歴
編集新潟県三島郡片貝村(現在の小千谷市)出身。少年時代に単身上京し、明治法律学校(現在の明治大学)の校外生として苦学しながら、商業に励んだ[4]。四谷区会議員、同議長、東京府会議員、同参事会員、東京市会議員、同参事会員を歴任。
1924年(大正13年)、第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選[5]。合計で4期務めた。
その他、大木戸住宅株式会社監査役、朝鮮営林洋行代表社員などを務めた[6]。
脚注
編集参考文献
編集- 加藤紫泉『新代議士名鑑』国民教育会、1924年。
- 『衆議院要覧(乙) 昭和十二年十一月』衆議院事務局、1937年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。