本多政恒
日本の江戸時代中期~後期の武士。加賀藩家老方法政冬の子で、本多図書家2代当主
本多 政恒 (ほんだ まさつね、宝永2年(1705年)- 宝暦10年10月6日(1760年11月13日)) は、加賀藩の家老、人持組本多図書家第2代当主。
生涯
編集宝永2年(1705年)、加賀藩家老本多政冬の子として生まれる。享保11年(1726年)、若年寄席見習に任じられる。享保12年(1727年)、若年寄となる。享保13年(1728年)、父の死去により家督と知行1万1000石を相続する。元文元年(1736年)、家老となる。延享元年(1744年)、藩主前田吉徳より、不和であった本家本多政昌との和解を命じられる。寛延3年(1750年)、家老を免じられる。
宝暦10年(1760年)10月6日死去。享年56。家督は本多伊織政則の子の政康が養子となって相続した。
登場作品
編集参考文献
編集- 「加能郷土辞彙」
- 「藩国官職通考」