本多忠薫
本多 忠薫(ほんだ ただしげ)は、江戸時代中期の近江国膳所藩の世嗣。官位は従五位下・縫殿頭、伊勢守。
時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 延享2年(1745年) |
死没 | 享和元年12月24日(1802年1月27日) |
改名 | 康年(初名)、忠薫 |
別名 | 大助(通称) |
官位 | 従五位下縫殿頭、伊勢守 |
藩 | 近江膳所藩世嗣 |
氏族 | 本多氏(彦八郎家) |
父母 | 本多康桓 |
兄弟 |
忠薫、康倍、逸姫、本多康政養女、 京極高備継室 |
妻 | 加藤泰衑娘 |
子 |
康完、康禎、忠升、本多康匡養女、 本多直美養女、本多忠暁室、 本多光武養女、本多朝著養女、本多忠和正室 |
略歴
編集膳所藩嫡子・本多康桓の長男として誕生。父が家督相続により7代藩主となるとその世嗣となる。宝暦11年(1761年)叙任するが、病弱を理由に明和元年(1764年)廃嫡された。代わって、叔父・康政が伊勢国神戸藩から養子に迎えられて嫡子となった。