本堂栄親

日本の江戸時代前期の武士。交代寄合本堂茂親長男で、常陸志筑領2代領主。江戸城鍛冶橋門番・甲府城御番・下館城勤番等を歴任

本堂 栄親(ほんどう ひでちか、慶長15年(1610年) - 寛文7年12月21日1668年2月3日))は、江戸時代初期の旗本常陸国志筑第2代領主。通称は源七郎。先妻は内藤忠興の女、後妻は伊東長昌の女。子に本堂玄親、娘(堀利直室)。

来歴

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1610年、旗本・本堂茂親の嫡男として生まれる。1621年将軍徳川秀忠に、翌1622年には家光御目見する。1645年11月、家督相続。弟親澄に500石を分知し、高8000石となる。

1649年江戸城鍛冶橋門番をつとめ、甲府城・駿河城御番、下館城勤番などをつとめた。

1667年、死去。享年58。墓所は、茨城県かすみがうら市の長興寺。法名は義俊。

先代
本堂茂親
旗本2代志筑領主
1645年 - 1667年
次代
本堂玄親